Debris – Faces / フェイセズ 和訳

Debris – Faces / フェイセズ の和訳。第二次世界大戦で爆撃されたイーストロンドンの地域は俗に「debris (瓦礫)」と呼ばれ、毎週日曜日にはそこで蚤の市が開かれた。ガラクタのような商品を何時間も眺めていたという、父との思い出をこの曲で振り返っている。

MV

Debris – Faces 和訳

オリジナル🔗Genius

僕は、あなたを瓦礫に残してきた
日曜朝の市場で
あらゆるガラクタを選り分けながら
掘り出し物を見つけようとしてたよね
玄関から聞こえてきた、その足音
それに、あの懐かしいラブソング
僕が待ってることを知ってるからだ
この階段の一番上で

僕がそこへ行って、戻ってきたのは
どれだけ遠いかを知るためで
そしてあなたは、僕にそれを伝えようとしてたけど
結局思い知らされることになったよ

ターミナルでは、もっとトラブルがあった
一般労働組合なんかと
そして言ってた「彼らは何ひとつ変えてくれない
闘うこともない、機能すらしてない」

僕にとってのヒーローだった
僕の親友でもあった
僕はそこへ行って、戻ってきたよ
だから、それがどれだけ遠いかは知ってる

でも僕は、あなたを瓦礫に残してきた
そして、お金がないことを知った
あなたは何をしてたんだろう
こんなフラフラした僕が、いなかったなら

注釈

ここで綴られている市場は、クラブロウマーケット (Club Row Market) のことである。ここでは本当にありとあらゆるものが売られていて、動物虐待を摘発されたために1983年で閉鎖されている。ロニーは父のスタンリーとよくここへ足を運んでいたそうだ。この怪しげな市場でどう見てもガラクタのような商品に目を凝らしているスタンリーの姿は、労働者階級の貧しさを感じさせる。サッチャー政権前の曲なので、まだ労組は一応機能していたはずなのだが「何もしてくれない」とぼやきながら、トラックの運転手を続けていたそうだ。

トラック運転手としての仕事が終われば、多発性硬化症を患っていた妻と息子二人の世話をするという生活。多大な自己犠牲を払って家族を支えていた父が、自分の時間を持つことができたならとロニーはここで思い巡らすのだ。なお、ロニー自身も母親と同じく多発性硬化症を患い、病と貧困に喘ぎながら51歳で生涯を閉じている。