
Ich hasse Kinder – Till Lindemann の和訳。「俺は子供が嫌いだ」と題された問題作。曲中では「育児放棄された子供」がテーマに思えるが、ショートムービーでは「いじめ」など別のテーマが存在していることを示唆している。
Ich hasse Kinder は、国際子どもの日である2021年6月1日にリリースされた。
シングル・アルバム情報
和訳
飛行機に乗り込んだ
気温が下がってくる そこに叫び声が聞こえる
座席番号は把握していた
パニックが大きな悲しみを助長する
泣き喚いている列が近づく
叫び声は次第に大きくなる
心配は確信に変わった
横に座るのは小さな子供だ
ではクラスの全員に質問だ
「子供を嫌いになってもいいのか?」
俺は子供が嫌いだ
俺は子供が嫌いだ
叫び続ける子供は 体を揺らし出した
母親は雑誌を読み続ける
読んでいる間 子供に何も言わない
リンゴを齧るだけだ
神様は俺に天罰を下そうとするだろう
クソガキは寝ようともしない
大声を出すことを止めようともしない
父親の方は ぐっすり寝付いていた
ではクラスの全員に質問だ
「子供を嫌いになってもいいのか?」
俺は子供が嫌いだ
俺は子供が嫌いだ
違う 俺は好きだ
そうだ 俺は子供が好きだ
大きくても小さくてもいい
でも好きなのは 俺の子供だけだ
そして急に静かになる
その子供は笑いかけてきた 急に心が溶けて
子供に手を伸ばそうとすると
また大声を上げ始めた
俺は子供が嫌いだ
俺は子供が嫌いだ
違う 俺は好きだ
そうだ 俺は子供が好きだ
大きくても小さくてもいい
でも好きなのは 俺の子供だけだ
俺は子供が嫌いだ
俺は子供が嫌いだ
ではクラスの全員に質問だ
「子供を嫌いになってもいいのか?」
違う 俺は好きだ
そうだ 俺は子供が好きだ
大きくても小さくてもいい
でも好きなのは 俺の子供だけだ
歌詞
ミュージックビデオ・オーディオ
監督はセルゲイ・グレイ ( Serghey Grey )。キャストにはロシアの映画俳優であるアレクサンドル・レバ ( Aleksandr Revva ) 、アグラヤ・タラソワ ( Aglaya Tarasova ) などが出演している。
ソ連が舞台であることから、赤い涙を流すマルクス・レーニンの胸像や赤の広場などが映し出されている。
また、ソ連少年団のピオネールの制服を着て、敬礼をしている姿が見られる。ピオネールの掟の一つには「 すべての子供の模範となること 」が掲げられている。
- ショートムービー
ストーリー ( ネタバレ含む )
舞台は1989年モスクワ。ティルは拘束され、ソ連の警察官は「 学校で苦しい思いをしましたか? 」とティルに尋ねた。しかしティルはわからないと言う。
場面は切り替わり、そこでは一人のシェフが襲われていた。追いかけ回され、魚が入った桶に顔を何度も入れられ、そして斧とチェーンソーで四肢を切断される。そしてピオネールのスカーフが巻かれ、 Ich hasse Kinder の叫び声とともに、その額にクラス写真が貼られる。
警察官は更に、被害者は全員ティルのクラスメートであることを指摘した。
2人目は椅子に固定されたまま、螺旋階段から突き落とされる。3人目は寝板を取られ、車に押し潰される。4人目はクレーンで首を吊られる。5人目は生きたまま埋められる。
聞き取り調査によると、クラスで一番いじめられていたのはティルであった。そしてそのいじめの内容は、被害者の殺害方法と酷似していた。フォークで手を刺されたこと、梯子から突き落とされたこと、被写体にしていたおもちゃの車をわざと落とされたこと、首を絞められたこと、ロッカーに閉じ込められたこと。
一向に罪を認めないティルに憤った警察官は、ティルを何度も殴りつけた。
出廷したティルは絶望した様子であったが、証拠不十分として無罪判決が下される。喜ぶティルはタクシーに乗り、暗い過去を思い出しながら涙を流す。そして帰りにロリポップを2つ購入する。
家に帰ると、妻と2人の小さな子供が出迎える。ロリポップは愛する子供たちへのプレゼントだった。ティルは子供と一緒に遊び、家族と一緒に食事をし、幸せな家庭を築いていた。
一方で、判決に疑問を抱いていた検事は裁判官を訪ね、裁判官もティルのクラスメートではないのかと詰め寄る。
ある日、ティルは妻のハンドバッグから赤いスカーフを見つける。被害者が切り抜かれたクラス写真とともに。
裁判官は車に乗り込んだ。いじめられていたティルを嘲笑っていた子供の頃の自分を回想する。そして、車のキーを回した瞬間に、彼女が乗っていた車は爆破する。
動画についての考察
ティルの生い立ち
ティルの出身は東ドイツである。基本的には「 ティル 」というキャラクターを演じているが、インタビューでは、東ドイツの環境はソ連と大差なかったと語っているため、何かしらソ連に親近感を抱いていたのであろう。そして、ピオネールと同じような団体に参加させられ、厳しいルールを課せられたことも明らかにしている。
アナトリー・スリフコが題材?
アナトリー・スリフコ ( Анатолий Сливко ) は、ソビエトの連続殺人犯である。彼の人生と動画には共通する点がいくつかある ( 共通点は赤文字で示す ) 。
彼は同性愛者であったが、妻と二人の子供がいた。1961年に、ピオネールの制服を着ていた10代の男の子が交通事故で重症を負っている姿を目撃したことで、その抑圧されていた性的嗜好に火がつく。
スリフコは映画作家であり、ボーイスカウトを運営していた。その地位を利用して、11歳から15歳の子供と仲良くなり、ナチス軍に処刑されるソビエトパルチザンのシーンを撮影したいと話を持ちかける。そしてピオネールの制服を着させて、首や手足を縄で縛った上で引っ張り、被害者が意識を失った間に性的暴行に及んだ。ほとんどの少年はその後に蘇生され、自身に何が起きたかわからないまま通常の生活を送っていた。
しかし被害に遭った43人の少年のうち、7人が殺害された。スリフコが通常の儀式では物足らない場合、1961年に目撃した事故現場を再現するために体を切り離し、ガソリンをかけて火をつけたのであった。
スリフコは1989年に銃殺刑となったため、年代もほぼ一致する。ただし、彼のストーリーは曲のテーマからはズレているため、殺人鬼の構想の基盤になっただけなのかもしれない。
アンドレイ・チカチーロの可能性も
アンドレイ・チカチーロ ( Андрі́й Чикати́ло ) も、1980年台頃の連続殺人犯である。
チカチーロは非常に貧しい家庭で育ち、まともに食べることができなかったために腹が膨れていた。その見た目とシャイな性格のためにいじめを受けていた。更に思春期の頃より、自身が性的不能であることに気づいていた。それが彼のコンプレックスに拍車をかけていた。
彼は強度の近視であったため黒板が見えないでいたが、非常に優秀な成績を収める生徒だった。しかし、モスクワ大学法学部の受験は失敗に終わった。日頃から成績も良く、試験の手応えもあっただけに、この結果を受け入れることができなかった。実際には、チカチーロよりももっと優秀な生徒がいたためであったが「 自分の父親がドイツ軍の捕虜となったから落とされた 」と恨みを持った。
27歳の時に、妹の紹介により結婚する。その後、2人の子供を授かる。
30歳で教職に就いたにもかかわらず、極度のあがり症であったため子供たちを全く指導することができず、子供たちから馬鹿にされ、担当していたクラスは学級崩壊に陥った。その後に別のクラスを指導するようになったが、その間に女子生徒の体を触るなどの猥褻行為を何度も行なっていたことが知られ、辞職させられた。その後、職業訓練校の教師になったが、生徒たちからは「 ゲイ 」や「 変態 」などと呼ばれて嘲笑された。それからチカチーロは男児にも猥褻行為をするようになった。
1978年、強姦目的で襲った9歳の少女が暴れ出しただめ、持っていたナイフで腹部を3回刺して殺害する。これがチカチーロの最初の殺人であった。
この事件ではチカチーロは疑われず、強姦殺人の前科持ちである別の男性が疑われた。彼にはアリバイがあったが、警察の激しい尋問の末に自供し、無実の男は銃殺刑に処せられた。
その後、チカチーロは至る所で殺人を犯すようになる。自分を嘲笑う大人も子供も、性別関係なくターゲットになり、53人を殺害した。
チカチーロには子供に対する明確な恨みがあったため、ショートムービーの文脈には近い。
二人の殺人鬼の共通点としては、子供たちを無惨に殺害しながら、共に結婚して二人の子供に恵まれているという矛盾であろう。これは、曲中にも見られる矛盾である。
余談だが、チカチーロの最後の言葉は「 脳は撃つな、日本人に売れる (Не стреляйте мне в голову, японцы за мой мозг большие деньги предлагали.) 」だった。実際に日本人が買い取っている。