Zombie – Fela Kuti の和訳。ナイジェリア軍の兵士をゾンビに擬え、ナイジェリア政府を痛烈に批判した問題作。大ヒットを記録した一方で、ナイジェリア軍からの凄まじい報復を受ける事態となった。
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和訳
ゾンビよ ゾンビたちよ (ゾンビよ、ゾンビたちよ)
ゾンビよ ゾンビたちよ (ゾンビよ、ゾンビたちよ)
ゾンビは進むな 指示があるまでは (ゾンビ)
ゾンビは止まるな 指示があるまでは (ゾンビ)
ゾンビは曲がるな 指示があるまでは (ゾンビ)
ゾンビは考えるな 指示があるまでは (ゾンビ)
ゾンビよ ゾンビたちよ (ゾンビよ、ゾンビたちよ)
ゾンビよ ゾンビたちよ (ゾンビよ、ゾンビたちよ)
ゾンビは進むな 指示があるまでは (ゾンビ)
ゾンビは止まるな 指示があるまでは (ゾンビ)
ゾンビは曲がるな 指示があるまでは (ゾンビ)
ゾンビは考えるな 指示があるまでは (ゾンビ)
ゾンビよ ゾンビたちよ (ゾンビよ、ゾンビたちよ)
ゾンビよ ゾンビたちよ (ゾンビよ、ゾンビたちよ)
まっすぐ進めと指示しろ 左へ、右へ、左へ
止まることもなく、仕事もなく、意味もなく 左へ、右へ、左へ
奴らを殺せと指示しろ 左へ、右へ、左へ
止まることもなく、仕事もなく、意味もなく 左へ、右へ、左へ
奴らを消せと言え 左へ、右へ、左へ
止まることもなく、仕事もなく、意味もなく 左へ、右へ、左へ
奴らを殺せ! (左、右、左)
そのまま死ね! (左、右、左)
奴らを消せ! (左、右、左)
逆向きにしろ! (左、右、左)
奴らを消せ! (左、右、左)
奴らを殺せ! (左、右、左)
そのまま死ね! (左、右、左)
逆向きにしろ! (左、右、左)
そのまま死ね! (左、右、左)
奴らを消せ! (左、右、左)
奴らを殺せ! (左、右、左)
逆向きにしろ! (左、右、左)
左、右、左 ゾンビは同じ方向にしか進めない
左、右、左 ゾンビは同じ方向にしか進めない
左、右、左 ゾンビは同じ方向にしか進めない
左、右、左
気を付け! 速足進め! (ゾンビ)
並足進め! 左へ曲がれ! (ゾンビ)
右へ曲がれ! 回れ右! (ゾンビ)
速く! 敬礼! (ゾンビ)
帽子を取れ! 休め! (ゾンビ)
整列! 解散! (ゾンビ)
伏せろ! 構えろ! (ゾンビ)
気を付け! 速足進め! (ゾンビ)
並足進め! 左へ曲がれ! (ゾンビ)
右へ曲がれ! 回れ右! (ゾンビ)
速く! 敬礼! (ゾンビ)
帽子を取れ! 休め! (ゾンビ)
整列! 解散! (ゾンビ)
(ゾンビ)
止まれ!
なおれ!
気を付け! 速足進め! (ゾンビ)
並足進め! 左へ曲がれ! (ゾンビ)
右へ曲がれ! 回れ右! (ゾンビ)
速く! 敬礼! (ゾンビ)
帽子を取れ! 休め! (ゾンビ)
整列! 解散! (ゾンビ)
伏せろ! 構えろ! (ゾンビ)
気を付け! 速足進め! (ゾンビ)
並足進め! 左へ曲がれ! (ゾンビ)
右へ曲がれ! 回れ右! (ゾンビ)
速く! 敬礼! (ゾンビ)
帽子を取れ! 休め! (ゾンビ)
整列! 解散! (ゾンビ)
伏せろ! 構えろ! 止まれ! (ゾンビ)
なおれ!
全員もう一度!
気を付け! 速足進め! (ゾンビ)
並足進め! 左へ曲がれ! (ゾンビ)
右へ曲がれ! 回れ右! (ゾンビ)
速く! 敬礼! (ゾンビ)
帽子を取れ! 休め! (ゾンビ)
整列! 解散! (ゾンビ)
伏せろ! 構えろ! (ゾンビ)
気を付け! 速足進め! (ゾンビ)
並足進め! 左へ曲がれ! (ゾンビ)
右へ曲がれ! 回れ右! (ゾンビ)
速く! 敬礼! (ゾンビ)
帽子を取れ! 休め! (ゾンビ)
整列! 解散! (ゾンビ)
伏せろ! 構えろ! 止まれ! (ゾンビ)
ハハ…
なおれ!
解散!
ゾンビ! ゾンビ!
ゾンビ! ゾンビ!
ゾンビ! ゾンビ!
ゾンビ! ゾンビ!
ゾンビ! ゾンビ!
ゾンビ! ゾンビ!
ゾンビ! ゾンビ!
ゾンビ! ゾンビ!
ゾンビ! ゾンビ!
ゾンビ! ゾンビ!
Zombie リリース後の余波
1977年1月、ナイジェリアのラゴスで「FESTAC ’77」という国際フェスティバルが開かれた。フェラはこれにボイコットし、別の場所で開催した無料のライブにて「Zombie」を初めて披露する。多くの観衆の前で、ナイジェリア軍の兵士たちを「言われた通りにしか動けない、自分で考えることのできないゾンビ」だと揶揄したのである。
もちろん、この動きは政府の怒りを買った。しかし制裁を加えるための「正当な理由」が必要だったため、フェラの息子であるフェミに対して警察を暴行した容疑をかけてカラカクタ共和国を訪れる。カラカクタ共和国は電気柵に囲まれた住宅で、フェラの家族とバンドメンバーが暮らしていた。しかしフェラは兵士たちを門前払いし「バズーカでもライフルでも爆弾でも持って来いよ、お前らを入れるつもりはない!」と言い放って電気柵のスイッチを入れた。
1977年2月18日、フェラの家は約1000人もの兵士に囲まれていた。ナイジェリア軍はフェンスを切り倒して、フェラの家に侵入。その場にいた全員が暴行を受け、女性は強姦され、家は放火された。事件後、フェラの弟のベコは車いす生活となり、フェラの母は2階の窓から投げ落とされた怪我が原因で、数か月後に亡くなった。
この攻撃を受けたあとも、フェラの態度は変わらなかった。母の一周忌にはナイジェリア軍本部の前に棺桶を置き、政府の過ちを批判した。
歌詞