Zeichnungen des Patienten O.T. – Einstürzende Neubauten の和訳。「患者O.T.のスケッチ」は、オズワルド・チルトナーの絵のこと(後述)。マルクが作った曲を聴いたブリクサが「チルトナーの絵みたいだ」と言ったことから、このタイトルになった。
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和訳
トップの人間は叫ぶ
エレクトローラの犬の墓場で
そしてニュースキャスターは
誠実な顔をつけている
後ろでは、彼の皮膚がめくれる
世界の果てで、俺は新しい太陽を待つ
それは輝くよりも、燃え上がる
それは輝くよりも、燃え上がる
そして貴方の炎の跡は、俺たちの血管を通る
世界の果てで、そしてすべての天国は
もう分割されることはない、とにかく地獄は
俺たちのものだ、なぜ俺たちは天国を共有する必要があるんだ?
新しい太陽
新しい太陽
それは輝くよりも、燃え上がる
トップの人間は叫ぶ
エレクトローラの犬の墓場で
そしてニュースキャスターは
誠実な骸骨顔をつけている
骨の音のインターバル・シグナル
Oswald Tschirtner / オズワルド・チルトナーについて
オズワルド・チルトナーは、1920年オーストリアのペルヒトルツドルフ生まれ。厳格なカトリック教徒の家庭で育ち、司祭を志して神学校に入学した。優秀な学生だったが、第二次世界大戦が勃発したために司祭になるという夢は絶たれ、高校卒業後はドイツ軍に徴兵された。スターリングラード攻防戦では無線通信士として従事、1946年にフランスの捕虜収容所へ入り、さらに5月11日から7月11日まではシャルルの「有刺鉄線神学校」と呼ばれる捕虜向けの神学校で過ごした。帰国後、異常な行動を取ったとして拘束され、精神病院へ送られた。
1954年にグギングへ転院。グギングで精神科医のレオ・ナヴラティルと出会う。ナヴラティルは芸術療法としてチルトナーに絵を描くことを勧め、その芸術的才能を発掘した人物である。絵を描く工程について、ナヴラティルはこう説明している。まず彼の前に紙とペンとインクを置き、ペンを試してみるように勧める。そして医師がタスクを与える。例えば「うさぎを描いてください」。するとチルトナーは書き始める前に口頭でその言葉を繰り返したあと「うさぎ」というタイトルを書く。絵を描き始めると、その作業はスピーディーで、まるで早く仕事を切り上げたいかのような印象を受けたという。
ジャン・デュビュッフェが提唱したアール・ブリュットの後押しもあり、彼の絵はミニマルアートとして評価され、世界的に認知されることとなった。1981年にナヴラティルが設立した「芸術家の家」へ入居。非常に内向的な性格だったというチルトナーは、強い信仰心のもとに日々聖書の勉強に励みながら、2007年に亡くなるまでこの芸術家の家で暮らした。
ノイバウテン以外にも、チルトナーの作品に感化された音楽は多数作られている。有名な例では、デヴィッド・ボウイの「アウトサイド」。ブライアン・イーノとともに芸術家の家を訪れた際に、彼らの作品からインスピレーションを受けたという。また、デヴィッド・ボウイの個人コレクションには、チルトナーの絵を含むグギングアーティストの作品が複数所蔵されていた。
歌詞