Rock N Roll McDonald’s – Wesley Willis 【和訳】

Rock N Roll McDonald’s – Wesley Willis の和訳。ザ・アウトサイダー・アーティストであるウェスリー・ウィリスの代表曲。かつて地元に存在した「ロックンロール・マクドナルド」を題材に、ロックへの情熱とファストフードへの批判を織り交ぜている。

Rock N Roll McDonald’s - Wesley Willis

Rock N Roll McDonald’s – Wesley Willis 和訳

オリジナル🔗Genius

マクドナルドは ロックをする場所だ
マクドナルドは 人々が食べ物を買いに来るレストランだ
マクドナルドは 音楽を聴く場所だ
人々がここに集まるのは ロックに没頭するためだ

ロックンロー マクドーノー!
ロックンロー マクドーノー!
ロックンロー マクドーノー!
ロックンロー マクドーノー!

マクドナルドはお前を太らせる
奴らはビッグマックを売る
奴らはクォーター・パウンダーを売る
奴らはお前の体重を増やす

ロックンロー マクドーノー!
ロックンロー マクドーノー!
ロックンロー マクドーノー!
ロックンロー マクドーノー!

マクドナルドのハンバーガーは一番マズい
バーガーキングよりもマズい
ビッグマックには26グラムの脂肪が含まれる
クォーター・パウンダーには28グラムの脂肪が含まれる

ロックンロー マクドーノー!
ロックンロー マクドーノー!
ロックンロー マクドーノー!
ロックンロー マクドーノー!

ロック・オーバー・ロンドン
ロック・オン・シカゴ*1

ウィーティーズ – 朝食のチャンピオン*2


注釈

*1 ウェスリーのスローガンで、たいていの曲に含まれる。直訳すると「ロンドン中にロックを」「シカゴのロックは永遠に」。

*2 曲の最後に必ずセルフCMが入る(HITACHI, Inspire the Next的な企業スローガン)。ウィーティーズはシリアルのブランドである。

Wesley Willisについて

生い立ち

ウェスリー・ウィリスは1963年5月31日シカゴ生まれ。ウェスリーには10人の兄妹がいたが、劣悪な家庭環境であった。両親の喧嘩が絶えず、ネグレクト状態であったため通報が入り、6歳の頃に家族はバラバラになった。養護施設に入った兄妹もいたが、ウェスリーは叔父と暮らすことになった。

15歳になる頃に叔父が児童への性的虐待で逮捕されたため、ウェスリーはシカゴの養護施設に入り、18歳まで過ごした。

アート

1988年からインクペンでシカゴの街を描くようになる。当時の様子が「Wesley Willis: Artist of the Streets」と題されたドキュメンタリーとして公開されている。

ウェスリーは生涯を通して絵を描き続けた。絵はアルバムのカバーにも使われている。

2008年にはエジプトの美術館でウェスリーの作品が展示された。

Hellride

18歳で養護施設を退所せざるを得なくなり、行き場を無くす。それから、お金のないウェスリーは実の母親であるアニー・ウィリスとその恋人であったロジャー・リー・カーペンターと暮らすようになる。ロジャー・リー・カーペンターも暴力的な人物で、母親をゴムホースで殴っていたことを自身の曲で明かしている(Roger Lee Carpenter)。

1989年10月15日、ロジャー・リー・カーペンターはコカインを買うため、ウェスリーの頭に.357マグナム弾を込めた銃を突きつけ、ウェスリーが貯めていた600ドルを脅し取った。この事件を境に、ウェスリーには「声」が聞こえるようになる。それから間もなくして妄想型統合失調症と診断を受けた。

この「声」は、ウェスリーを罵倒するデーモン(demons)の声である。デーモンには名前があり、「Heartbreaker」「Nervewrecker」「Meansucker」などと呼んでいることもある。ウェスリーは、デーモンの声で苦しめられている状態を「ヘルライド(hellride)」と表現し、音楽によりヘルライドから一時的に解放される状態を「ハーモニー・ジョイライド(harmony joy ride)」と表現している。

Wesley Willis Fiasco

1991年から地元のミュージシャンと交流を深め、ウェスリー・ウィリス・フィアスコ(The Wesley Willis Fiasco)を結成した。バンドはカルト的な人気を築き、エディ・ヴェダーやマイク・Dなど著名なミュージシャンもバンドに興味を示した。

ウェスリーがソロ活動を始めてからは関係が崩れ、ウェスリー・ウィリス・フィアスコは1996年に解散した。

作曲

1992年から作曲を始める。テクニクスKN 2000キーボードで作曲を行う。

生涯で作ったアルバムは50枚以上、多い時は36日間でアルバムを4枚出したこともある。1枚のアルバムはたいてい5時間足らずで完成する。

ウェスリーの曲のテーマは多岐に渡るが、曲の構造はほぼ同じである。

好きなミュージシャン系
スーパーマンと戦う系
デーモンの気分を害するための獣姦系
人生系

額の痣

ウェスリーの額にはトレードマークでもある大きな黒い痣がある。ウェスリーはファンへの挨拶として「headbutt」という、額同士をぶつける行為を何年も続けたために、この黒い痣が形成された。

右頬の傷

1991年8月31日(土)22時、4番コテージ・グローブ行きのバスに乗車している時、ウェスリーはデーモンに向かって罵っていた。それをたまたま乗り合わせていたジョン・ディラードという男が自分への侮辱だと勘違いし、バスを降りたウェスリーの後を付けてウェスリーの顔をカッターで切りつけた。その後遺症である。(John Dillard

2002年の終わりに慢性骨髄性白血病の診断を受ける。2003年6月2日、緊急手術を受け、それ以降体調が急激に崩れる。

2003年8月21日に、40歳で息を引き取った。

ドキュメンタリー

Rock N Roll McDonald’s について

1983 – 2004

ロックンロールマクドナルド(Rock N Roll McDonald’s)は、かつてシカゴに存在していたマクドナルド店舗。1983年にオープンし、そのユニークな形態が有名で、シカゴのランドマークにもなってた。1990年代にはアメリカで最も売上の高い店舗であった。

店舗には ジェームズ・ディーン、チャック・ベリー、ジミ・ヘンドリックス、スプリームス、ビートルズなどが描かれ、店内にはジュークボックスも設置されていた。

2015 – 2017

2004年に店舗は取り壊され、2015年4月15日に生まれ変わって再オープンした。これはマクドナルド生誕50周年を記念した取り組みの一環でもあった。

2018 – 現在

2017年に再度取り壊され、2018年8月8日に現在の店舗がオープン。このリニューアルではグリーンビルディングとして生まれ変わり、店舗にはソーラーパネルが取り付けられ、屋上庭園が設置された。

このリニューアルにより、ロック要素は失われた。

ウェスリーの「Rock N Roll McDonald’s」

2004年の映画「スーパーサイズ・ミー」で使用されている。この映画は、マクドナルドを1か月間食べ続けた体の変化を記録したドキュメンタリーで、偶然にもウェスリーの歌詞はその主題に沿っている。